ロサンゼルスの伝説から学ぶお金と幸せ

To me, money is not happiness at all

ロサンゼルスの観光名所の1つにゲティーセンターなる美術館があります。そこには主に19世紀~20世紀の有名画家達(ヴィンセント・ヴァン・ゴッホや、クロード・モネ、ポール・セザンヌなど)の名画の数々が無料で公開されているのです。

そんなゲティーセンターは建築界のノーベル賞とも言われるプリツカー賞を受賞した著名な建築家、リチャード・マイヤーによって設計されたのですが、1984年に着工したこの美術館が、完成したのは1997年。何と13年もの歳月を費やし、その費用は10億ドル(日本円にして1,000億円以上!)にも上るとも言われています。

このゲティーセンターを運営するゲティ財団の創設者がアメリカの石油王にして、億万長者のビジネスマン、J. ポールゲッティです。今回はポールゲッティの数奇な人生を辿ります。

ポールゲッティは18921215日、ミネソタ州ミネアポリスで生まれました。この年、日本では伊藤博文が第5代(2回目の)内閣総理大臣に就任、1892年とはそんな時代です。

1905年にロサンゼルスへと移住したポールゲッティは、高校を卒業した後、UCバークレーに進学、バークレーで数年過ごした後、イングランドのオックスフォードへと移り、政治と経済の学位を取得しています。

そんなポールゲティがビジネスを始めたのは1914年(ポールゲティ21歳)、父親の石油会社を手伝うことを皮切りに、2年後の1916年にオクラホマで最初の油井開発を成功させ、1920年代にはカリフォルニアで採掘を開始するなど、徐々に資産を増やしていきます。1930年には亡くなった父親の後を継いで、ゲティオイルの社長に就任。その後、複数の石油会社を買収し、197666日にアメリカで最も成功したオイルマンの1人として、イングランドの地で息を引き取ります。

私生活では5度の結婚と離婚を経験するポールゲティ。そんなポールゲティの私生活はタブロイド紙の格好のネタだったことは言うに及びません。ポールゲティの息子ポールゲッティ2世は、若いときからドラッグにハマり、その妻テリサはポールゲッティ3世を産んだ後、ヘロインの過剰摂取で死去しています。

そんな2人の息子ポールゲッティ3世は16歳のある日誘拐に合い、ゲティ家は身代金を請求されるのですが、ポールゲティはこれを拒否。するとポールゲッティ3世は耳を切り落とされてしまいます。これを受けてポールゲッティは渋々身代金を支払い、孫のポールゲッティ3世は解放されるものの、この時のトラウマでドラックにハマっていき、ドラッグの乱用によって頸髄損傷と視力をほとんど失ってしまいます。

ゲッティ家の悲劇はこれだけでは収まらず、お金があるが故にドラッグ中毒に陥ったり、遺産相続で家族や親類が骨肉の争いをしたりと、負のスパイラルは長らくループし続けたのです。

1代で巨万の富を築いたポールゲティ。しかし、彼は幸せだったのでしょうか?次回は人生における幸せについてお話ししたいと思います。

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